2000年代初頭、フランス東部の工業都市ミュルーズ郊外。若い工員の家で発見されたひまわりを描いた風景画が、ナチスに略奪されたウィーン分離派の画家エゴン・シーレの作品であることが判明する――。この歴史的事実に基づき、多彩なキャラクターが織りなす知的でエスプリの効いたドラマで、美術オークションの裏側で繰り広げられる権謀術数をスリリングに描いたのが本作『オークション ~盗まれたエゴン・シーレ』だ。

監督はフランス・ヌーヴェルヴァーグの巨匠ジャック・リヴェット作品の脚本を数多く手がけたパスカル・ボニゼール。本作では美術オークション業界の内部構造や、富裕層と労働者階級の世界を見事に対峙させ、特権階級の残酷さを鮮やかに描き出す。辛辣な皮肉を交えながら、綿密な取材に基づくリアルなアート・ビジネスの世界や、オークションの緊迫感も見どころのひとつ。

1枚の絵を巡り次々と明らかになる登場人物たちの隠された秘密。
彼らが本当に手に入れたいものとはー?

始まりは、競売人に届けられた一通の手紙

パリのオークション・ハウスで働く有能な競売人(オークショニア)、アンドレ・マッソンは、エゴン・シーレと思われる絵画の鑑定依頼を受ける。シーレほどの著名な作家の絵画はここ30年程、市場に出ていない。当初は贋作と疑ったアンドレだが、念のため、元妻で相棒のベルティナと共に、絵が見つかったフランス東部の工業都市ミュルーズを訪れる。絵があるのは化学工場で夜勤労働者として働く青年マルタンが父亡き後、母親とふたりで暮らす家だった。現物を見た2人は驚き、笑い出す。それは間違いなくシーレの傑作だったのだ。思いがけなく見つかったエゴン・シーレの絵画を巡って、さまざまな思惑を秘めたドラマが動き出す…

この作品の真の主役はミュルーズ郊外の一軒家で長らく煤にまみれながら、ひっそりと時を過ごしていたエゴン・シーレの「ひまわり」だ。その生涯は30年にも満たず、「夭折の天才」と称されたシーレはウィーン画壇の帝王だったグスタフ・クリムトの弟子とされているが、自分の生年(1890年)がオランダのポスト印象派の巨匠フィンセント・ファン・ゴッホが死去した年と同じだということに運命を感じていたという。クリムトとゴッホはともに「ひまわり」の絵を描いているが、シーレの「ひまわり」がそのふたりの先達に影響を受けていることは想像に難くない。ナチス・ドイツに略奪されたこの「ひまわり」がこの世に姿を現したとき、この絵を通じて、登場人物たちの隠された秘密が明らかになり、人生で本当に手に入れたいものを見つけ出していく。

シャープでエレガント、そして面白い。クラシックとモダンが混じり合う完璧なカクテルが生まれた。ここでは、アートは魂の向上よりも、所有欲をかきたてる。パスカル・ボニゼールは、道徳的教訓を垂れるよりも、現実を面白がることを選ぶ。喜劇性が勝る本作は、軽快さを基調としながら、背景にホロコーストやユダヤ人の財産略奪を扱う場面ではシリアスにもなる。

フィガロ紙

選び抜かれた登場人物らを絶妙に配し、観る者を納得させる。本作の焦点は、価値を巡る感覚の違いの対比に他ならない。価値あるものは当然のことながら世に循環すべきと考える富裕層、価値そのものは何の意味も持たない庶民階級。数字の乱舞の結果、ここでは道徳的な道筋が示される。

ルモンド紙

天才的ストーリーテラーが語る魅力的でリアルな寓話風の作品。アメリカン・コメディの脚本陣もこれ以上のものは書けなかっただろう。人間性の濃縮のような映画であり、人間の複雑さを余すところなく表現している。

ラ・トリビューン・ディマンシュ紙

パワーゲーム、嘘、お金が支配する社会の舞台裏に、ものごとの価値や、人生においてふさわしい居場所を見つけることの大切さについての鋭い考察が隠れている。突き詰めれば、本作は実直さや品位をエレガントな形で描いているといえる。しかも、これみよがしでないところがなおさら感動的である。

ボザール誌

非の打ち所のない俳優陣による魅力的な作品。不穏なメランコリーに包まれた本作は、軽やかさと深刻さを織り交ぜ、本来、無関係なエピソードを交錯させ、脇役を少しずつ中央に据えていくのである。登場人物たちが抱える複雑な心の内が徐々に解き明かされ、意外性に富んだサプライズが次々と明らかになる。

ラ・クロワ

パスカル・ボニゼール Pascal Bonitzer
監督・脚本・翻案・台詞

1946年パリ生まれ。1969年「カイエ・デュ・シネマ」誌の映画批評家としてキャリアをスタートさせる。1976年には、19世紀にフランスの農村で実際に起こった尊属殺人事件を扱ったミシェル・フーコーの研究書をもとに事件の映像化を試みたルネ・アリオ監督の野心作『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』の共同脚本に参加。以降、脚本家として作家主義的な映画監督ラウル・ルイス、アンドレ・テシネらとの協働を重ねたが、なかでもジャック・リヴェットの脚本家として確固たる実績と知名度を確立し、『地に堕ちた愛』(1984)、『彼女たちの舞台』(1988)、『美しき諍い女』(1991)、『恋ごころ』(2001)などの脚本を手がけた。脚本の仕事と平行して、1996年には満を持して『Encore(アンコール)』で監督デビュー。練り上げられた自作の脚本、知的にして軽妙なコメディタッチの作風はフランス映画の貴重な流派であり、長年のファンの期待を裏切らない『オークション ~盗まれたエゴン・シーレ』は監督第9作に当たる。他の監督作にミステリの女王アガサ・クリスティの「ホロー荘の殺人」を原作とした『華麗なるアリバイ』(2008)がある。2023年に惜しまれて早世した監督ソフィー・フィリエールとの間にもうけた娘アガト・ボニゼールは女優として活躍している。

アンドレ

競売人(オークショニア)。オークション・ハウス、スコッティーズに雇われ、パリで働いている。

アレックス・リュッツ
Alex Lutz

1978年ストラスブール生まれ。俳優、お笑いタレント、演出家、戯曲家、小説家、映画監督の肩書きを持つ正真正銘のマルチプレイヤー。幼少期から演劇に触れ、1996年には地元で自らの劇団を立ち上げる。パリ進出後も実力派喜劇俳優らとコラボを重ね、脚本、演出、出演をマルチにこなす。2012年からはCANAL+で自作自演のミニ・コント「カトリーヌ&リリアンヌ」(物真似を得意とするリュッツと相棒のブリュノ・サンチェスの二人が女装し、仲良しOLのガールズトークをパロディ)が人気を博し、2019年まで長期シリーズ化。テレビ、舞台でのめざましい活躍に加えて、2018年には自ら脚本を書き、監督・主演したミュージカルタッチのフェイク・ドキュメンタリー『Guy』で、往年のスター歌手ギィを老けメイクで怪演、セザール賞主演男優賞を受賞。一方、ギャスパー・ノエ監督の『VORTEX ヴォルテックス』(2021)では壊れゆく老夫婦(ダリオ・アルジェントとフランソワーズ・ルブラン)の息子役を自然体で演じ、改めて変貌自在の底知れぬ才能を見せつけた。

ベルティナ

アンドレの元妻で仕事のパートナー。10年前に離婚しているが、彼とは互いに美術の目利きとして、気心の知れた同士のような関係。

レア・ドリュッケール
Léa Drucker

1972年フランス北部のカーン生まれ。パリの高校時代に演技に興味を持ち、演劇、テレビ、映画と着実に経験を積んでいたが、フランスで大ヒットした心理サスペンス『ジュリアン』(2017年/グザヴィエ・ルグラン、ヴェネチア国際映画祭監督賞)でセザール賞主演女優賞を受賞。その後も本国大ヒットの不条理コメディー『地下室のヘンな穴』(2022年/カンタン・デュピュー)、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作『Closeクロース』(2022年/ルーカス・ドント)、2023年のカンヌ国際映画祭で批評家から高い評価を得た『あやまち』(2023年/カトリーヌ・ブレイヤ)など話題作で存在感を発揮し、今やフランスの演技派女優の地位を不動のものにした。

エゲルマン弁護士

若い弁護士。マルタンから依頼を受けて、アンドレに絵の鑑定を依頼する。

ノラ・ハムザウィ
Nora Hamzawi

1983年カンヌ生まれ、パリ育ち。大学時代に演技の素地を築き、2009年にスタンドアップコメディアンとしてデビュー。ブラックユーモアの利いたスピード感ある自作のワンマンショーはたちまち評判を呼び、テレビやラジオのオファーが殺到、数多くの人気番組であらゆる話題を一刀両断するショートコーナーを担当。2018年には『冬時間のパリ』(2018年/オリヴィエ・アサイヤス)で、ヴァンサン・マケーニュ演じる不実な夫を冷静に観察する妻役を軽妙かつ繊細に演じて女優としての資質が注目された。女優業、ラジオのレギュラー出演のかたわら、2024年にはパリ、リヨンで第三弾ワンマンショー公演を敢行するなど独自の立ち位置で快進撃を続けている。

オロール

競売会社で研修中の若い女性。アンドレの部下として働いている。

ルイーズ・シュヴィヨットィ
Louise Chevillotte

1995年パリ生まれ。女優の母親セシル・マニエの影響で、10代半ばで演劇を学び始め、2014年にはフランス国立高等演劇学校に入学。在籍時には芸術系他校との共催の映画ワークショップに参加。その頃フィリップ・ガレル監督の目に留まり、『つかのまの愛人』(2017)の主役の座を射止める。その瑞々しい演技と存在感は、映画サイトSlateの映画評で“本作で起こったひとつの奇跡”であると同時に“観客にとっても素晴らしい贈り物”と絶賛され、2018年度セザール賞新人賞にもノミネートされた。以降、ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作『シノニムズ』(2018年/ナダム・ラピド)や、『ベネデッタ』(2021年/ポール・ヴァーホーヴェン)の聖女役など話題作で存在感を発揮している。

マルタン

30歳の純朴な工員。化学工場で夜勤労働者として働いている。

アルカディ・ラデフ
Arcadi Radeff

ジュネーブ出身。2019年から3年間、ローザンヌの舞台芸術大学演劇科に在籍。平行して地元を中心に演劇、朗読など着実に演技経験を重ね、2017年以降、『Passages』(2023年/アイラ・サックス)、『Pendant ce temps sur Terre(直訳:その頃地球上では)』(2024年 /ジェレミー・クラパン)に出演、最近ではRTSラジオ・テレビジョン・スイスの人気シリーズ 『Délits mineurs』(2023)、『Les Indociles』(2023)の演技が評価され、Swissperform賞助演賞を受賞しているが、『オークション ~盗まれたエゴン・シーレ』のマルタン役はフランスではほぼ無名の新人の大抜擢。高い語学力(フランス語、イタリア語、英語、ドイツ語)を活かし、今後、国境を越えた活躍が大いに期待される。

本作は見事にオークション・ビジネスの「真実のドラマ」を描き出していると私は自信を持って云える。主人公アンドレはなんと理想的で羨ましいオークション・スペシャリスト人生を送っていることか。「私もアンドレになりたい!」と世界の中心で叫びたいほどだ。

山口桂
株式会社クリスティーズ ジャパン 代表取締役社長

美はゆるぎなくそこにあるのに、それを巡る人間たちの物語は嘘や悪にまみれてしまう。しかし美を生み出したのもまた人間なのだ。映画はこの真善美のもつれを見事に描き出している。

高橋龍太郎
高橋龍太郎コレクション代表

絵画を巡る歴史的事実もさることながら、登場人物たちの人間味溢れる掛け合いが“フランスあるある”でリアル!
最後に示されるマルタンの選択が、今も私の心を温め続けています。

雨宮 塔子
フリーアナウンサー・エッセイスト

ナチスの手を離れ大戦を生き延びたシーレの名作《ひまわり》。パリのオークション・ハウスを舞台に、復活の日は訪れるのだろうか。セミドキュメンタリー・タッチの興奮の展開。

高橋明也
東京都美術館館長

ナチスに退廃芸術とされたシーレの油彩の発見。それを取り巻く欲と心に傷を持つ人物たちが次々登場するなか、 豊田市美術館のシーレ作品を思い浮かべると同時に、生活を変えない青年に救いを見た。

高橋秀治
豊田市美術館館長

エゴン・シーレの名画がたどった数奇な運命──それだけでも十分ロマンティックな本作だが、 オークションをめぐる登場人物たちが、よりこの作品を魅力的なものにしている。

橋爪勇介
ウェブ版「美術手帖」編集長

私たちが抱える欲望や虚栄心、他人の遺した美術品で利益を得ようとする愚かさ。 作品を取り巻く醜い歴史の中で、誠実さが神々しいほどに輝く。暗い現代に差し込む一筋の希望の光を見た。

本橋弥生
京都工芸繊維大学准教授/「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展監修・キュレーター

ストーリーの中心にあるシーレの作品ははっきりとは映されない。にもかかわらず、価値だけでないその磁力が登場人物たちを突き動かすのが伝わる。芸術の魔力が生み出す複雑な人間ドラマ。

藪前知子
東京都現代美術館学芸員 /「マティス」「石岡瑛子」展キュレーター

突如その姿を現したナチスに略奪されたエゴン・シーレの「ひまわり」。長らく行方知らずだった名画に翻弄される人々を多視点で捉えた味わい深い作品。

中村剛士
青い日記帳

計らずも絵の所有者となってしまった工場労働者の青年。一枚の絵の発見をめぐってアート業界の人々の思惑と欲望が入り乱れ、この絵がナチスの略奪品だったことが判明していく。サスペンス的展開のハラハラドキドキをご堪能あれ。

藤原えりみ
美術ジャーナリスト

1枚の絵が現れて
さまざまな人生が一直線上に並ぶ
それはまるで惑星直列のように

鈴木芳雄
美術ジャーナリスト

アートの世界を扱う内容だが、各人物のキャラクターが際立つエピソードを的確に配置しながら、90分という理想的な長さの中で起伏に富んだ物語を完璧に仕上げるボニゼール監督の仕事そのものが、アートだ。

矢田部吉彦
前東京国際映画祭ディレクター

(順不同/敬称略)

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